あの悪夢のようなテロから5年がたった。
今年は「もう5年」とも「まだ5年」とも思わなかった。
昨日のニュースで筑紫さんが
「どの人にも“あの時私はああしていた”というのを覚えているのではないでしょうか。そのくらい大きいことだった」と言っていた。
わたしと友達もいち被害者、といったら本当に命を亡くした人たちに申し訳ないが、わたしたちは関西空港からハワイに向かっている時にあのテロが起きた。うちらの飛行機にテロリストが乗っていてビルに突っ込んでいたとしてもなんの不思議もない。たまたま運が良かっただけのような気がする。
高校の友人で東京・大阪・福岡から寄り集った3人組。
久しぶりの再会にかなり盛り上がっていた。
スッチーに止められるほどにお酒を飲んでいたうちらは、テロがあってハワイの空港が閉鎖されたという機内放送の時に爆睡していたので、聞いてなかった。だから飛行機がちょうどハワイと関西空港のど真ん中でUターンしてるなんて知りもしなかった。
目を覚ますとスッチーが
「降りたらとりあえず何もありませんのでこれを!」
ってパンと紙パックのジュースを配っていた。
私達は「え?!」って感じだった。
友達Mが「ハワイをなめてるなぁ」と言いながらも寝ぼけながらパンを食べていた。
朝9時にハワイに到着する予定だったので「あっ窓開けてみようや」って開けた窓の外は真っ暗。もうすぐ着くってゆうのに!!「なんかおかしいね。」って話になったが、友達Cの
「まだ日付け変更線を通っとらんのんじゃねぇん!」という説得力のある言葉に「あ、そっか!」納得してしまった。
今考えるとむちゃくちゃだが‥。日付け変更線通った瞬間にパッ!って明るくなったり暗くなったりするわけがないんだが‥‥。
ボーっとしてはいたが、2人よりはお酒を呑んでなかった私は「‥‥ので、関西空‥‥‥ます」っという機長の放送と、機内からどよめく「えーーーー!!!」っていう声を聞いたことを思い出した!!
2人に伝えたところ
「はいはい。カヨ夢みたんじゃなー。よかったなぁー」
と全然相手にしてもらえない。Uターンなんてそうそうありえる話じゃないし、わたしもそう言われると夢だったような気もする。自信がないので「スッチーにきこう!」と手をあげた!!
すると、いつもわたしをただの天然ボケと思っている友達Cが
「あんた恥ずかしいわっ!」っとあげた左手がへし折れるくらいの力でおろされた。
でも機内の空気がハワイに着くってわりには盛り上がりにかけるし、3人で小さく固まっていたら、決定的な
「ただいまから関西空港に着陸いたします。」機長の声。
鳩が豆鉄砲喰らったような顔になった3人は今度こそ「どうしてなんですか?」と着陸体制に入って目の前に座ったスッチーに聞いた。
スッチーは「え?ご、御存じな、かった、、んです、、か?」と驚きを隠しきれないままテロのことを説明してくれた。
朝の真っ暗な4時に関西空港に降ろされた私たち。テレビ局のカメラのフラッシュを浴びながら、配られるモーフにくるまって、だだをこねていた。
テレビであの映像を観るまでは。。。
3人とも有休をとっていて、会社に戻るのも恥ずかしいし「グアム行こう!」と一瞬アガッタが、それもアメリカ領で行けなかった。。
結局9月だというのに、ハワイ用のめっちゃ真夏スタイルで、水着やタンクトップしか入ってない大きなスーツケースを転がしながら東京へ行き、友達Cのおうちに3泊、箱根に1泊して、うちらの旅が終わった‥。
何千人という死ななくていい人の命が無差別に奪われ、今だにたくさんの人が乗りこえながら生きている。もう二度とこんなことは起こってほしくない。